【僕と犬とブランコと】
アーチャーの散歩はいつもは妹が行くんだ。
でも今日は妹が学祭の準備で忙しいので僕がかわりに行くことにした。
アーチャーは2年前につき合ってた彼女の最後の置きみやげだ。
アーチャーの長い毛は彼女の髪に似ていると僕は思ってた。
実は僕は今までこの犬を避けてきた。
アーチャーにそう言うとアーチャーはくしゃみをし、
それでいいんだというようにうなった。
僕は今日、アーチャーが自分でいつもの散歩コースをたどるだろうと思ったんだけど
ヤツったら状況が飲み込めずにフラフラ歩いているだけみたいだった。
しかたないので行き先は僕が決めることにした。
アーチャーも文句は言わないだろう。
家から駅へ行く途中に小さな公園がある。僕はその公園が好きだ。
ときたま ひとりで ベンチに座り、ペンキの皮をむきながら、
公園の反対側の頑固おやじの古本屋で買ってきた文庫本を読んで過ごすんだ。
公園に着くと、少女がひとり。
ゆらゆらとブランコに揺られている。
跳び箱やシーソーのあるあたりがなんだかちょっと臭い。
アーチャーのヤツ。
ここに来たのが初めてだからってマーキングしてやがる。
少女は落ち着かなげに目を動かすと、一生懸命ブランコを漕ぎ始めた。
なんだかとても悲しそうな顔をしていた。
これから先も僕がアーチャーの散歩に行くことにすると言うと
これまで嫌がってたのにどういう心境の変化かと
妹は目をまんまるにしてわけを聞きたがった。
でも適当に返事を濁していると、彼女の興味も冷めたようだ。
翌日、僕とアーチャーはまた公園へ行った。
------------------------------
今日もまた少女がブランコを漕いでた。
やっぱりなんだかとても悲しそうな顔をしていた。
アーチャーのリードを解いてやる。
嬉しそうに植え込みに転がり込んでいく。
そしてふん、ふん。ふん、ふん。
忙しそうに地面のそこここを嗅ぎ回り始めた。
僕は例のベンチに腰を下ろした。
ここからならアーチャーも見張れるし、
おまけにブランコと少女は真っ正面だ。
年の頃は十くらいだろうか。
ひとりでブランコで遊ぶにはやや長じすぎているように思った。
彼女は一心不乱にブランコを漕いでいた。
高く、高く、より高く。
なんだか僕は不安な心持ちになった。
なぜ、そんなに激しく漕ぐんだい? 危ないじゃないか。
なぜ、僕は急にアーチャーの散歩をする気になったんだろう。
もちろんこの少女のせいだってことはわかってる。
でもなんで彼女がこんなに気になるのか、それがわからないんだ。
彼女はまっすぐ顔をあげてベンチにいる僕の顔を見据えた。
そうだ、この悲しそうな表情だ。
その瞳を正面から捉えたとき、
僕は軽い目眩を感じた。
危ない! あの子、落ちる!
一瞬、そう思った。
だけどベンチから滑り落ちて地面に尻餅をついたのは僕のほうだった。
そして、からっぽのブランコがゆうらゆらと揺れていた。
---------------------------------
その翌日もアーチャーと僕は、また公園にでかけた。
アーチャーもすっかり心得たようで、
公園に向かう道を確信に満ちた足取りでたどっていく。
昨日、ふいに消えてしまった少女。
あれはなんだったんだろう。
公園が見えてくると、僕ははやる心が抑えきれずに駆けだした。
アーチャーも興奮して転がるように駆け出し、すぐに僕を追い越した。
僕はアーチャーのリードに引っ張られるような格好で公園に入った。
彼女はいるのか?
いた。
やはりブランコを漕いでる。
今日はゆっくりと膝を曲げ、またゆっくりと膝を伸ばし、
ゆるやかにゆるやかに漕いでいた。
そして今日もまた、その顔はやっぱり悲しげだった。
僕は吸い寄せられるようにブランコに近づくと、
空いたブランコに腰掛けた。
ブランコに乗るなんて、何年ぶりだろう。
座板はとても地面に近くて膝が立ってしまう。
僕はバランスを取りながら座板の上に立ち上がった。
今度は頭上の骨組みに頭が届いてしまいそうな錯覚を覚えたけれど、
そんなことはなかった。このほうがいい。
僕もまた、ゆるゆるとブランコを漕ぎ始めた。
ゆらり。
ゆらり。
少しずつ。
少女と僕のブランコの速度が合っていく。
ゆらり。
ゆらり。
横を見なくてもふたつのブランコの波長が揃ってくるのがわかった。
ゆらり。
ゆらり。
そして。
完全にふたつのブランコの揺れが同期した。
その瞬間、少女の言葉が僕の耳に飛び込んできた。
「ずっと待ってたんだ」
意外なことに彼女の声の響きはもう、ブランコの揺れとは合っていなかった。
そして彼女は元気よくブランコから飛び降り、
僕を振り返ると「おにいちゃん、ありがとう」と言った。
そしてとても晴れ晴れと笑った。
とてもかわいかった。
少女が「おいで、アーチャー!」と叫ぶと
アーチャーは転がるように飛んできて、彼女の足にまとわりつき
ちぎれよとばかりにしっぽを振った。
「さあ、帰るよ」と言うと彼女はアーチャーのリードを握った。
アーチャーが生まれたときからの飼い主のようなとても自然な動作だった。
そして少女と犬はとても仲良く駆けだし、公園から出ていった。
少女もアーチャーも、僕のほうをもう振り返らなかった。
そしてアーチャーも少女ももう二度とその公園には現れなかった。
僕はいつまでもいつまでもひとりブランコを揺らし続けた。
-----------------
「ただいまぁ、お姉ちゃん」
「おかえりぃ」
そう言うとお姉ちゃんはアーチャーの頭をなでた。
「ついでにエサもあげなよ」
「うん。でもまずはお水、お水。アーチャーったら駆けどおしなんだもん」
「でも、びっくりしたなぁ。今日で3日も続いてるのよね、あんたの散歩」
「あたしがずっとやる、って言ったの信じてなかったの?」
あたしが、ぷうと頬をふくらますと
「ヒョウタンから駒ってヤツよね。私が学祭で忙しかったのがよかったなんて」
と、お姉ちゃんが笑う。
「もともと、アーチャーをもらったのなんておに・・・?
あれ? ・・・誰からもらったんだっけ?」
あたしはクスリと笑うとこう言った。
「やあね、お姉ちゃんたら、ぼけちゃったの?
あたしのクラスの引っ越ししちゃった男の子からでしょ」
------------------
ゆらり。
ゆらり。
僕は今でもブランコを揺らし続けてる。
いつまでもゆらり。
いつまでもゆらり。
<完>